“電車男”についで、また掲示板から本が出版されたらしい。
タイトルは“今週、妻が浮気します”
ざっと読んでみたところ、本来の内容とは関係のないところで引っかかってしまった。
≪DV被害者と同じ≫
という一言。
配偶者が浮気しようが、DVがあろうが、その結果≪離婚する≫のか、≪全てを許して結婚生活を続ける≫のか、≪仮面夫婦になって結婚生活を続ける≫のか、いろいろな選択肢があると思う。
(ちなみにこの主人公の結論は、ネタバレになっちゃうので書きませんが)
≪子供のことを考えて≫と一言で言っても、子供のことを考えて≪離婚する≫のと、子供のことを考えて≪離婚しない≫のと、二通りあると思うし。
それぞれに意見も違うと思うし。
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1、子供のことを考えて≪離婚する≫場合
両親の醜い姿を子供に見せないため、と考えられる。
ひどい夫婦喧嘩を目の当たりにしたり、どちらかが我慢して泣いている姿を見せず、両親とも≪いつも笑っている姿≫を見せるため。
両親が共に幸せに生活していれば、自然と子供たちも安心すると思う。
2、子供のことを考えて≪離婚しない≫場合
どうにか修復が出来るものであれば、それはお互いに我慢して、夫婦でありつづけることが、子供の幸せにつながるものなのかもしれない。
夫婦って、お互いが歩み寄らなければ、続けられるものではないと思うから、これも夫婦の姿、だと思う。
もちろん修復できなくても、仮面夫婦であったとしても、≪家に帰れば両親がいて、どちらにも相談が出来る≫という環境を持つため。
子供にとっては気まずいこともあるかもしれないけど、それも人生勉強。
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そこで、自分自身のことを振り返ってみた。
1も2も、両方の気持ちが入り混じっている。
だから、離婚したいと思いつつも、離婚できずにいる。
でもね、一つだけ言えるのは、
≪子供たちは巣立っちゃう≫ってこと。
後に夫婦二人残されたとき、その人と二人で暮らしていけるかどうか、ってこと。
どちらを選んだとしても、子供たちが大人になったとき、どういう形であれ両親の姿を(理解するしないに関わらず)自分なりに消化してくれるはず。
それが例え、どちらかを恨む結果になったとしても。
結局は、自分自身が相手をどこまで許せるか?だけを考えて行動したって、いいんじゃないか?ということ。
相手を許せるのなら、どんなに母(又は父)が泣いている姿を子供たちに見せようと、子供たちはそれなりに消化するんだから。
さて、私は・・・・・。